リボン家族

自分の好きなもの、主にジャニーズや二次元に関して呟きます。

曲により繋がれていくアイドル寿命

以下、THE PAGE 2月14日 17時30分配信。
「恋チュン」など要所で生まれた大ヒット曲

 こうした卓越したシステムにより、アイドル界の常識を覆す“寿命の長さ”を見せているAKB48だが、人気を維持できた背景にはあるシングル曲の存在も欠かせなかったと、レコード会社社員は振り返る。

「やはり13年に発売した『恋するフォーチュンクッキー』が大ヒットしたのは大きいでしょう。あの曲は、普段アイドルや『AKB48』に興味がない人たちもカラオケで歌ったり広く浸透しましたし、数多くの地方自治体や会社などが振付を真似た映像を動画投稿共有サイトにアップしたりと、社会現象にもなりましたからね。音楽チャートで74週連続チャートインするなど、昨今の音楽業界ではマレなロングセラーになりました」

 

 実はこの記事は言わずと知れたAKB48の戦略とアイドル寿命の特異性に関して論じた記事なのだが、私はその中でも、この記事部分に惹かれ引用させていただいた。

 

 女性アイドルとジャニーズなど男性アイドルは同じ土俵で語るには歴史やそれが培われてきた土壌が異なるため、また、男性アイドルは結婚、子をなしても育児休暇を取った前例がないため(つるの剛士さんは筆者の中では俳優・タレント枠としてカウントしております)寿命を語るときに同じ土俵にはあげられないと考えているのだが、純粋に曲のみの観点でいえば、両者どちらにも当てはまると思いこの部分に焦点を当てて考えていきたい。 

 V6は私の少し舞い上がってしまった最初の拙い記事でふれたように、6人揃っての露出機会がプライムタイムにはない。これは数ある中堅ジャニーズの中では異例なことなのだが、それでも彼らをファンが信じていたのはひとえに『曲』の存在があるからなのではないかと思う。

 なぜ、グループとしての活動に危機感を感じていたファンも多い中、ファンが彼らを支持し続けていたのか。もちろん、ミッションV6などの番組が面白いなどの理由もあるかもしれないが、やはりひとえに曲をリリースできる機会こそV6が再び集まる確約のようなものであり、新曲がⅤ6としての活動の証だったのだろう。

某動画で上がっているため、視聴された方も多いと思いますが、井ノ原快彦が語る通りⅤ6は確かにSMAPや後輩グループの勢いの板挟みにあい、グループとしての活動はしぼんでいたように思います。(グループとしての活動ですよ、あくまで)

そう語ったご本人のレギュラーである『警視庁捜査一課9係』こそ、V6の曲を10年もの長きにわたり使用してくれた尊いドラマであるが、その曲一覧表をみてほしい。

 

警視庁捜査一課9係

       警視庁捜査一課9係season1 →「グッディ!!」

       警視庁捜査一課9係season2 →「ジャスミン」

       警視庁捜査一課9係season3 →「蝶」

新・警視庁捜査一課9係           →「GUILTY」

新・警視庁捜査一課9係season2→「oniy  dreaming」

新・警視庁捜査一課9係season3→「Sexy.Honey.Bunny!

  警視庁捜査一課9係season7→ 「kEEP оN」

  警視庁捜査一課9係season8→「君が思いす僕は君を愛しているだろうか」

  警視庁捜査一課9係season9→「涙のアトが消えるころ」

  警視庁捜査一課9係season10→「Timeless]

 

これら10曲が主題歌として9係がⅤ6の曲を使用したもの。

 『SUPER Very best』というベストアルバムの三枚目と照らし合わせていただくとよくわかる。

 私は、いまここでこれらの曲の批評をしたいのではない。

曲は一個人の思い出の詰まったものなので、良し悪しを語るのは音楽評論家の方だけで良いと考えている。

そうではなく、曲はアイドルが持ちうる武器の中で最も尊く、求心性のあるものであるといいたいわけで。

 このベストアルバムの中の特典DVDで彼らが名前の通りに6人、WAになりバレーボールのトスをしてお互いに感謝や愚痴を伝え合う場面があるのだが、その中で長野博が井ノ原に向かい、10年間も曲のタイアップをありがとう(意訳)と叫ぶシーンがありる。これはどれだけ、曲をリリースできていたことが大きなことだったかが非常によくわかる一場面だったと思う。

一通り特典を見ているのだが、ここが一番印象に残った。

 

 では、なぜ、曲をリリースし続けられたことがありがたかったのだろうか。

わたしはこのシーンを見るたびに思い返す。。

 

以下、『大人アイドル プロフェッショナルとしてのV6論』P152より抜粋

 

そもそもアイドルという職業自体、メタ的なものではある。見られる、あるいは魅せることを前提とした職業である以上、すべてのアイドルは程度の差はあれ虚構と現実という2つの世界を行き来することになる。

 

 アイドルは確かにファンのものでもあるといえるが、アイドルという職業を背負った一個人は間違いなくアイドル自分自身のものなのである。

最近では、後輩グループの例が挙げられるように思う。

その矛盾が孕むものは大きく、その刹那にファンは心を震わせ、アイドルの一挙手一投足に感情を揺さぶり動かせられるのです。目撃情報が注目される理由もこれゆえだろう。

アイドルは所有するものではなく、思いを馳せ、心の支えにするものというスタンスという大人の女性ファンの方の一部はある程度、通過儀礼としてこの道を通り悟りを開いたのではないかと勝手に考えている。

 

 アイドルを応援し心の糧にするという心情はいうなれば、一番近いのは偶像崇拝であると私は考える。よく日本は無宗教であるとか、多神教であるなど言われていますが、日本はやはりアイドル教が発展した有数の国なのである。

 

 いずれファンのものと思っていたアイドルもSMAP木村拓哉やV6の井ノ原快彦のように結婚し家庭を持つ。みんなのものと思われた存在の結婚はファンや世間に衝撃を与えるが、一個人の男性の人生としてはなんらおかしいことではない。

 ジャニーズでは担当といいますが、推しと表現する女性グループもありますね。

担当が結婚してしまい、ファンの手元に残るのはいったい、なんなのだろう?

コンサートのチケットの半券だけだろうか?それとも投げてくれたサイン色紙?

 

 やはり、それは違うと思う。

私たちの心(てもと)に残るのは彼らとともに時代を駆け抜けた思い出であり、共に過ごしてきた曲たちなのではないかと強く思う。

ファンは担当だけではなく、彼らが歌い踊った曲を愛し、その曲を自分たちの人生の出来事と照らし合わせ自分の歴史年表を作っているのではないだろうか。

そしてファンに愛された曲が、彼らのアイドル寿命を繋ぎ、ファンを、そして彼らと同じ時を過ごしてきた世代を繋いでいくのだと思う。

 

 

 

また、中堅アイドルクラスになるとそのアイドルの人間性を異性としてではなく一個人として尊敬していたり、家族の一員のような気持で応援できるようになるというのも列挙しておきたい。

 

私はⅤ6に関しては家族ではないが家族のような気持で応援しているものの一人です。